ちょいと解析をやっていて、 FreeBSD 環境の PAW でデータを読もうとして、ファイル名が大文字だけから構成されているのに PAW の方が case insensitive で引っかかる(ってゆーか、内部的に全部小文字に変換するようで小文字名ファイルしか open できない)。
んで、頭使わずに hoge -> HOGE な symlink を張って誤魔化す。
それはまぁいつもやることだが、解析後そのディレクトリ一帯を rsync で MacOS に持ってきて作業していてふと気が付くと
hoge -> HOGE の symlink だけ残っていて、データ本体の HOGE の方がない
そーだよなー、 MacOS の HFS は case insensitive だから hoge と HOGE は両立しないよなぁ、と納得したのはその数日後だったというのは秘密だ(貘)
職場で、ノートパソコンを机の奥の方に置いて、ひじを机の上にのせてタッチパッドをちまちまちまちまと使ってた所為か、二の腕の裏っかわから脇腹にかけて痛みが走るようになってしまった…
今は肘を脇腹につけて、肘より先が机のヘリに乗るようにして、手前に持ってきたノートパソコンをツツいているんだが、そうするとなんか机を損してるような気がしなくもない…
fink で selfupdate して、なにげに update-all してなんか文句が出るなーと思いつつ ghostscript を update してしまった…。
うーむ、前の環境も fink を騙して 7.05 あたりを突っ込んだんだったような気が…
気がつくと stable まで 8.0 になってやがって、 8.0 系でどうやって日本語出したものやら…
とりあえず、 TrueType を使うのは無理臭いので CID Font を使う方向で
…ってちょうど東風の CID が配布停止になってる時じゃんっ
WadaMin-{Regular,Bold} でなんとか回避
imap と delegate の port は閉じられたままのようで、向こうに届くメールも読めなきゃ自分のアンテナも使えない。その二つが一番重要だということが判ったが、さてどうしたものか
弄りはじめたんだが、実行環境にしようと思ってる計算機、どこにも BSD make がないでやんの。
仕方ないので BSD make -> GNU make に書き換えて回る、しくしく
なんでこの Makefile
tex -> dvi -> ps な suffix rule があるんだ?
なにから .tex つくるんだ?
昔懐しの src2tex か?
昔の俺の考えることはよく判らん
ナニの front end で HP-UX のアカウントを入手したんだが、 csh ってこんなに使いにくいモノだったのかと愕然。っつーか stty 腐り過ぎ。
diff に -u がないとか biff がないとか、某 host の rsync と screen と locate の DB がないの比じゃない
あー使いにくい
そのままじゃメールが出せなくて、しょうがないので普段使っている mozilla mail の smtp server を職場に向けようとすると、どうしてもそれが反映されない。
prefs.js を見ると何故か smtp server の指定が3か所ある。多分アカウントの数に対応しているんだが、設定する側では全アカウント共通でしか設定できないんだよね…。で、これを書き換えて mozilla を起動して prefernce 的には書き換えられてるのに、いざ send してみると旧 server に connect しようとして time out するまで待った挙げ句に prefs.js まで元に戻っていやがるキーーーーーッ
挙動がさっぱり理解できないが、最後に3つある smtp server を全部職場に書き換えてやって、やっとメールが出せるようになった。あーストレス溜まる
に書いてある(曜日)の部分は MT の機能で出力させているんだが、これがちょっと謎。
なんでか水曜と木曜がひっくり返ってる……。
localize しているファイルをチェックしてみたが、そこではちゃんと対応とれてるのよね。謎ついでに(日)とかゆー表記の方が好みなんだが、これをやる format string の扱いもどうも bug ってる。ってゆーか、実体参照すなと。
いくつか抜け落ちていた。
ファイル名に大文字小文字まぜてあって、しかもリポジトリ自体をあっちの計算機、こっちの計算機と何度も移転させていて、その中には case insensitive な HFS+ の Mac OS も入っているので、その辺りが原因じゃなかろうかと根拠なく疑ってみる。
移転しまくる前の大本のリポジトリが某所に残してあったので、そのリポジトリを再度持ってきて無くなってたファイルだけ足してみる。
SCOのリクツがやっと判った
われわれはUNIXを1本の木として考えています。われわれはこの木の幹を所有しています。UNIX System Vが幹の中心を走っているのです。つまり、われわれがUNIXの中核部分の所有者だということです。
この木の幹からたくさんの枝が出ており、これらが各種UNIXにあたります。HP-UX、IBMのAIX、SunのSolaris、富士通や NECの製品に搭載されたUNIXなど、さまざまな種類のUNIXが出回っています。SCOも2種類のUNIXを提供しています。OpenServerおよびUnixWareです。しかし枝と幹を混同してはいけません。幹となるのはSystem Vのソースコードで、これこそがわれわれに巨大な権利を与えている部分です。幹から枝分かれした派生的製品をコントロールする権利がそこに含まれているからです。
エンタープライズ:Interview:SCOのマクブライドCEOがすべてを語る――われわれはなぜIBMを提訴したのか (2/4)より
先日の OSI のポジションペーパーでは、その「幹」は古すぎて誰もそれに依存していないということだった。それに、そもそも「幹」のうち、本当に SCO が独占的に権利を持ってる部分ってかなり細いんじゃ……。
手続きはそこそこさくさく済んだんだが、最後に俺に通帳返す段階で
ひとの通帳握ったまんま国際ボランティア貯金の勧誘はじめる
の辞めれ
いくら、たかだか41円如きの利子から8円かそこら引かれるだけで、誤差というかゴミみたいなものだとは思うし、ノルマでやってるんで気の毒だとは思うが
「うんと言わないとお前の通帳返さないぞ」
ってシチュエーションで勧誘されて不愉快だったので拒否。
他にも入り口付近にパンフもって待ち構えていて帰り道足留めしようとしたりして、公社化してサービス悪くなってやがるぞゴルァ
SCO の、手前勝手な理屈をこねて高圧的に非難するってスタイル、隣国の某半島国家のそれとダブるんだよね…。
結局、どの部分が UNIX から Linux へ流れたコードなのかって明らかにしたんだっけ?
CNET Japan - SCO、IBMへの賠償請求額を3倍に:L・トーバルズを名指しで非難も
結構詳しい文書を発見
OSI Position Paper on the SCO-vs.-IBM Complaint
FreeBSD BOX の機嫌が悪くなる。
結局 /home に書くと必ず panic して死ぬということで newfs して backup から書き戻し。
linux emulation 使ってるややこしい計算のプログラム、しかも売り物コンパイラ使ってる FORTRAN のコードで動かなくなったので、 SMP の秘孔を突くものだったらどうしようとひやひやする。ってゆーか2回に1回は reboot しようとしてそのまま凍ってるし…。
green beam 15mw laser pointer storeというレーザーポインターなのだが、問題はその出力
俺には「> 15MW LASER (PROFESSIONAL USE)」という表記が気になってしょうがない。サイト名も www.megalaser.com だしなぁ…
緑色のレーザーというと、学部4年の時やっていたレーザーラマンの光源が 514.5nm の Ar イオンレーザーで、天井に映った光が奇麗だったのを思い出す
「マイナスイオン発生ユニット搭載液晶ディスプレイ」
よくも思い付きやがったなって感じ
より自然に近い純粋なマイナスイオンだけを効率よく発生させ
なんて pseudo science にはいい加減なくなってほしいくらいなのに…
すること数度(笑)。
しょうがないので新しいのを買ってくる。
今度のは丈夫そうなので崩壊はしないだろうけど、その代わりに、なんでだか真ん中の高さにもバーがあってスーツくらいでも裾がぎりぎり、コートなんかどうしてくれようって感じ
古い方もさっさと潰さないと部屋が狭くてしょうがないな…
ずっとこのページの css いじっていたが、やっと重なったりずれたりせずに表示させられるようにできた(確認環境:mozilla, safari, w3m)。あ〜長かった。
あ、ちなみに IE ではあちこち問題が出てるような報告受けてますが自分では動作検証してません。
本文の方は幅を決め撃ちしたくないとか、 w3m 等で見るのに本文の方が先にきてほしいとかあれこれ制約があって、その中でちゃんと配置しようとして散々試行錯誤しました。
おかげで position: absolute の使い方なんて覚えてしまった…
Movable Type の楽しそうな機能を調べてみた。
簡単な順に列記する
つーわけで、見知らぬ人だがリンク張るのと一緒に track back してみる。 こうすると向こうで俺の視線を検知できるということなのだが…。
茄子ギコをパチってきて携帯の待ち受け画像にしてみたり。
…うーむ、イマイチ落ち着かん
画像のアップロードができるのは判ったが、アップロードした後で扱いをかえようと思ったらちょっと苦労するのか
とりあえず、カスタマイズする用の sample に機能を全部使ったエントリも作ってみる。
こいつだけ comment ありにしてみる。
ping の受け入れは後で全部ありに直しておこう。
CSS と HTML のスケルトンと両方見ながら両方いじってるんだが、どうも所詮 BBS 的利用前提だからかイマイチうまい具合にいかないな。
日記ゴトキで節ごとにタイトルつけてられるかとかコメントなんてつけねーとかやるとあちこち微妙に怪しい…
なんでもいいが、ちょっといじっちゃ CGI でサーバを叩くのでアクセスログは凄いことになってるだろうな
で、結局 blog だと何が嬉しいんだっけ?
やったらうまくいったよ。あたしの言うこと聞いてちゃんと動いたよ。暴走なんてしなかったよ(古
やれやれ、これしきのことでもここまでまじめに計算してやらないといかんとは…。
メール書こうとすると何故かアタッチされるシグネチャが化ける。
結局、 textedit+ で utf-8 でセーブし直したらちゃんと読めるようになったが、 emacs じゃ utf-8 でセーブできなかったのね…
SMP だしと portupgrade であれこれ更新させていたら、いきなりぶつりと落ちられた……
熱暴走なのかファイルシステムが破たんしてるのか、はたまた SMP するには CPU が違い過ぎてるのか(なにせ片方は数年置いて、しかも中古で買ったものだしな…)
あまり気にせずに boot してくるのを待っていると、いつまで待っても boot しない。リセットかけても boot しない…。モニタがついてないのでどこで止まったかも判らん。
まぁいいやと飯を食いにいき、帰ってきてからモニタを拾ってきてつないでみると single user で prompt 待ちしてる。うーむ、 background fsck はどうしたと思いながら fsck -y 。さすがに気になるのでストレステストで portupgrade かけまくりながら kernel 作って、あー lost+found なんてできてやがるとさくっと rm した瞬間に panic しやがった……。うーむ、こいつ、あんまりヘビーな使い方できないな
make buildworld して負荷テスト
そんな訳で 5.1RC になったわけだが、なんだって FreeBSD の buildkernel ってこんなに時間喰うんだ?
そういや kernel も / からいなくなってるけど、まだ generic とカスタムカーネルとあれこれ置いておくとかやれるのかな?
とかなんとかやって、最後に shutdown -r したらリブートする直前にpanicした。うーむ、やはり不安定。
で、リセットしても boot してこねーし、電源切ってもキーボードの num lock の LED きれねーし、怪しいったらありゃしない
うーむ、なんかリブートしてからmbmon の表示がまともになった気がする…。ストレスかけると温度は上昇するし、 CPU1, 2 の差もそれほどない(37.6 と 35.0℃ @ クーラーの効いた部屋で OpenOfficeOrg compile 3時間経過)
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